「アート」は解放と抵抗の土壌となりうるか

三上真理子

「アート」は解放と抵抗の土壌となりうるかドクメンタ15の反ユダヤ主義問題から「インクルージョン」を考える三上真理子ベルリンのヴァイセンゼー美大の移民背景を持つ学生が美術教育での人種差別に声を上げるべく創設したコレクティブ foundationClass による「THIS IS MY VOICE LISTEN」がリズミカルに鮮やかに力強く響く。Installation view foundationClass collective at Hafenstraße 76, photo: Mariko Mikamiドイツ西部の地方都市カッセルで5年に1度、100日間に渡り開催される世界最大級の現代美術フェスティバルとして名高いドクメンタ(documenta)(1)。2022年に実施されたドクメンタ15では、1955年から実施されてきた同芸術祭史上初めて、アジアからコレクティブである「ルアンルパ」がアーティスティックディレクター(芸術監督)を務めた(2)。西欧が牽引してきたこれまでのキュレーションや芸術祭の枠組み、そして「コンテンポラリーアート(同時代美術)」という概念そのものに対する問題提起をはらんだディレクションは、美術関係者だけでなく、多くの一般市民の注目も引きつけた(3)。1 —— ドクメンタはその回ごとにアーティスティックディレクター(芸術監督)が選出されるが、その運営を担う事務局は、カッセル市とヘッセン州を株主とし、連邦文化財団の財政支援を受けている非営利組織の「ドクメンタ・フリデリチアヌム美術館(documenta und Museum Fridericianum gGmbH)」である。過去のドクメンタのウェブサイトはここから閲覧できる。英独両言語で入手できる資料は英語を優先して掲載する。なお本稿におけるウェブ記事の最終アクセスはすべて2023年6月10日である。2 —— ルアンルパ(ruangrupa)は、アジア通貨危機やスハルト退陣等を背景に2000年にジャカルタで結成されたコレクティブ。なおアジアや非西洋という言葉は曖昧で、西洋で教育を受けそのまま西洋を拠点にする人々や、アジアで西洋化された教育を受ける人々も多く、地理的区分で特定することは(とりわけ近代以降)ますます困難になっている。3 —— ドクメンタ15のプレビューのレポートは拙稿「時代の転換点に立ち、大きく歴史をゆるがすドクメンタ15。西洋型アートからの脱却と反ユダヤ主義問題をめぐる現状とは。」(boundbaw、2022年7月8日)も参考のこと。大型芸術祭の多くがそうである(あった)ように、ドクメンタにおいても、初期はアーノルド・ボーデ、そして中期にはハラルド・ゼーマンというカリスマ性のある「スターキュレーター」個人を頂点に据え、権限が集中する中央集権的な構造が取られてきた。そんなディレクターのポジションを、ルアンルパはコレクティブとして引き受けただけでなく、参加作家の選出方法において分散型の仕組みを考案した。まず、核となるアーティストコレクティブを仲間に迎え、さらにそのコレクティブが他のアーティスト個人やコレクティブを招待できるようにした。その結果、参加アーティストは合計1500名以上に登り、大半は、グローバルサウスで活動するコレクティブとなった。また、これまでトップダウン式で行われていた資源の再配分の方法も、アーティスティックディレクションの範囲内で見直された。ジャカルタでの20年以上にわたる活動で培ってきたインフラと資源の循環をカッセルに実装すべく、参加アーティストの間で、資金、知識、設備に至るまで、重要な資源を分有する「ルンブン」(lumbung、インドネシア語で米倉を意味する)の概念が提唱され、実践された。こうした試みはドイツ、ヨーロッパ、北大西洋などいわゆる「西洋」を中心に拡張してきたドクメンタの制度や、コンテンポラリーアートの体系に新風をもたらすはずだった(4)。4 —— 西洋の制度や仕組みへの批判は、その制度や仕組みが独占的に実装されているから生じるとも言える。一方で、インドネシアをはじめ東南アジア地域では、美術やキュレーションが西洋とはまったく別の生まれ方、発展の仕方をしており、アジアのコレクティブによる西洋への挑戦という見方は、西洋の教育を受けた人のものであることにも注意が必要である。参考:David Teh, “Who Cares a Lot? Ruangrupa as Curatorship”, Afterall journal, 30, 7th June, 2012.ところが、ドクメンタ15は、反ユダヤ主義問題とその対応を巡り、開幕直後にドイツ国内外で大炎上を引き起こしてしまう。会期中、反ユダヤ主義的な表現に対する市民からの告発がソーシャルメディア上で繰り広げられ、その都度(とりわけドイツ国内)メディアを賑わせた。閉幕後も、美術関係者だけでなく、法学者、社会学者、歴史学者、心理学者などさまざまな専門家を巻き込みながら議論は続き、ワーキンググループを発足した大学もある(5)。そんな中、2023年2月には、ヘッセン州とカッセル市が委託した学術諮問委員会による『最終報告書』がドイツ語で発表された(6)。2023年3月には、2027年に予定されているドクメンタ16の選考委員会が発表され、次に向けた準備は着々と進んでいる(7)。5 —— カッセル大学、フランクフルト応用科学大学、ドクメンタインスティトゥート、アンネ・フランク教育センターの協力で「ドクメンタ15を例にした反ユダヤ主義とポストコロニアル論争」というタイトルのワーキンググループが立ち上がり、2023年12月末に報告書が発表される予定である。6 —— 『最終報告書(Abschlussbericht: Gremium zur fachwissenschaftlichen Begleitung der documenta)』はドクメンタ・フリデリチアヌム美術館ウェブサイトからダウンロードできるがドイツ語のみで発表されており、英訳の予定はないそうだ。7 —— documenta16の選考委員はこちら。しかし、未だに「もやもや」が払拭できない。感覚的でナイーブな話であることは承知しているが、ドイツで生活するアジア移民である筆者にとって、グローバルサウスのコレクティブの視点から提起された持続可能性やインクージョンに対するボトムアップの取り組み、そして圧倒的な力を前にしてもなお上がり続ける小さな抵抗の声は、勇気づけられるものばかりであった。しかし、当時のドイツ国内のメディアから伝わってきた熱量は、反ユダヤ主義問題に注がれるばかりで、あらゆる発言が狭義の政治問題に絡めとられてしまうことへの不安と諦念から、ドクメンタ15を評価する声が上げにくい空気感に包まれていた。一方で、日本をはじめ、ドイツ国外の美術関係者からは評価の声を耳にする機会が増えたが、ドイツ国内の緊張感や社会政治状況を見渡すものよりも、ドイツへの批判を滲ませるものが多かった。起きた出来事との心理的、地理的な距離感や、業界、立場により、これほどまでに評価が大きく分かれ、温度差があることは驚きでもあった。ドクメンタ15において、せっかく「視点の複数化」が提案されたのだから、単数の視点に集約させるのでなく、その地域や業界固有の事情にも目をやりつつ、もう少しこのドクメンタが投げかけた問題について考えられないか。「アートではなく、ともだちを作ろう」という理念が、その理念と相容れないはずの結果を引き起こしてしまったことについて、単に一つのスキャンダルとして消費するのでなく、その背景をもう少し探れないか。本稿では、なぜドクメンタ15で反ユダヤ主義問題がこれほど炎上したのか、ドクメンタの政治的な歴史と、脱植民地の問題に触れつつ、グローバルとローカルの間を揺れ動く「国際芸術祭」に必要な異文化感受性について、日独の間でアートに携わる筆者の視点から考えていきたい。反ユダヤ主義をめぐる一連の流れドクメンタ15での反ユダヤ主義をめぐる一連の騒動について、日本語で読める記事も多数出ているが、改めて振り返っておこう(8)。ことの発端は、2022年1月、「反ユダヤ主義に対抗するためのカッセルの同盟」が、ドクメンタ15のアーティスティック・チームやパレスチナからの招聘アーティスト「The Question of Funding」の中にBDS運動支持者が含まれていることをブログ上で問題視し、それがヘッセン州の地元メディアで報道されたことから始まる(9)。BDS運動とは、イスラエルによるパレスチナに対する抑圧を終結させるために、ボイコット(boycott)、投資引き上げ(divestment)、経済制裁(sanctions)を呼びかける運動であるが、ドイツではとりわけ問題視されている。2019年にドイツ連邦議会は、BDS団体への資金提供と公共イベントの会場提供を禁ずるという議会決議を採択している(10)。8 —— 杉田敦「【特別連載】杉田敦 ナノソート2021 #02:ドクメンタを巡るホドロジー(前)」(『ARTiT』2023年3月3日)は杉田氏が体験してきたドクメンタの歴史からドイツ国内の事情まで日本語で詳細に読める貴重な記事である。9 —— Bündnis gegen Antisemitismus Kassel(BgAK)の2023年1月7日のブログ記事で、Funding of Questionというパレスチナのコレクティブやルアンルパの中にBDS支持者と思われる人物や、パレスチナのハリル・サカキニ文化センターという過激な反ユダヤ主義者の名前を冠する文化機関のかつての関係者が含まれていることが指摘された。その後、このブログ記事の調査不足、認識不足を指摘する記事も相次いで発表された。10 —— 法的拘束力はもたないものの、ドイツ各自治体への影響力は少なくない。註56も参照のこと。ドイツ議会が採択した「BDS-Bewegung entschlossen entgegentreten – Antisemitismus bekämpfen」はDeutscher Bundestag, Bundestag verurteilt Boykottaufrufe gegen Israel(17. Mai, 2019)で閲覧可。ドクメンタ15の反ユダヤ主義疑惑が、ドイツの全国紙レベルで取り上げられると、スポンサーでもあるドイツ連邦文化メディア庁(BKM)(11)やヘッセン科学芸術省(HMWK)等も見過ごせず、ドクメンタ側に勧告を出す(12)。それに対しドクメンタ側は、反ユダヤ主義疑惑を払拭させるべく「We need to talk!」と銘打ったオンラインの公開トークを企画、「反ユダヤ主義、人種差別、イスラム恐怖症の高まりの中で、芸術の役割と自由について」話し合う場を開幕前に設けようとした(13)。しかし、このイベントは直前でキャンセルとなる(14)。キャンセルの背景には、ドイツユダヤ人中央協議会のヨーゼフ・シュスター会長から、ドイツ連邦政府のクラウディア・ロート文化メディア担当官宛に送られた書簡、そしてヴァンダリズムがあった。11 —— ホームページで「ドイツ連邦首相府文化メディア担当官(Staatsministerin für Kultur und Medien)」と示されているように、本機関は本来、文化メディア政策を担当する最高責任者を指すが、統括部署全体も意味するため、日本語でよりわかりやすい「文化メディア庁」と記す。12 —— documenta fifteen, “DOCUMENTA GENERAL DIRECTOR: DOCUMENTA HAS TAKEN APPROPRIATE MEASURES FOLLOWING ALLEGATIONS”, 12.7.2022.13 —— 反ユダヤ主義疑惑に対する2022年1月19日の声明でこの企画が発表され、その後具体的な内容は4月に入ってから発表された。14 —— documenta fifteen, “SERIES OF EVENTS “WE NEED TO TALK! ART – FREEDOM – SOLIDARITY” SUSPENDED”, 4.5.2022.ユダヤ人中央協議会会長は、発表された公開トークのパネリストのラインアップは、反ユダヤ主義の撲滅に不利な方向に偏っていると、プログラムの内容を批判した(15)。これを受け、公開トークでの安全な発言空間が確保できないことへの懸念を訴えたパネリストもいた。同じ頃、展示会場の一つで、来場者のインフォメーションセンターになる予定のルルハウスに、何者かによってイスラム嫌悪とイスラエルとの連帯を呼びかけるステッカーが貼られる事件があった(16)。トークの実施による危害拡大が懸念され、トークは直前でキャンセルとなった。しかし以降も、アメリカで殺人の隠語として用いられる「187」や極右政治家を暗示する落書きがThe Question of Fundingの展示会場で見つかったり、差別的な発言を受けた参加アーティストが身の危険を感じて参加を辞退するなど、様々な形の暴力が報告された(17)。15 —— Tagesspiegel, “Umgang mit Antisemitismus: Zentralrat der Juden schreibt Brandbrief an Claudia Roth wegen Documenta”, 28.4.2022.16 —— Kabir Jhala “As Documenta's antisemitism row 'spirals out of control', vandals attack exhibition space of pro-Palestine artist group”, The Art Newspaper, 31.5.2022.17 —— 例えばインドのクィアアーティストコレクティブであるパーティー・オフィスは、ドクメンタの参加を辞退した。なお「187」をめぐっては、殺人予告ではなく、実はドイツのヒップホップバンドのことを指しているのではないかという指摘もある(ハンブルクの187 Strassenbandなど、ヒップホップ界では187が用いられることは少なくない)。ドクメンタ事務局及びメディアが殺人予告とのみ解釈したことは、パレスチナ作家を被害者として位置づける動機によるものだとの指摘もある。参考:Oliver Marchart, Hegemony Machines, Neuer Berliner Kunstverein, 2022, p.116. ドクメンタ側のヴァンダリズムに対する声明はこちら。このように、2022年初頭から開幕前にかけて、すでに反ユダヤ主義疑惑は大小含むドイツメディアを賑わせていた。その都度、政治家や行政側は、ドクメンタ15に釘を刺してきたが、芸術監督側も事務局側も、「反ユダヤ主義、人種差別、過激主義、イスラム恐怖症、あらゆる形態の暴力的原理主義を断固として拒否する」と強調し、疑惑を真っ向から否定してきた(18)。行政側は、反ユダヤ主義的な作品がないかを外部専門家に事前調査させる提案を出したというが、ドクメンタ側は国家権力による検閲に当たるとして受け入れなかった。18 —— documenta fifteen, Statement on Accusations of Antisemitism Against documenta fifteen, 19.1.2022.それにも関わらず、プレビュー最終日に、屋外メイン会場のフリードリヒ広場に設置されたタリン・パディというインドネシアのコレクティブによる2002年の巨大なバナー作品《People’s Justice》に、SS(ナチスの親衛隊)と記された帽子を被り目を充血させた吸血鬼のような人物(19)と、モサドと記されたヘルメットを被りダビデの星のスカーフを身につけた豚鼻の兵士が発見されてしまう。いずれも古典的な反ユダヤ主義の視覚コードとしてドイツで認識されている表象である(20)。公式オープニングに出席するために現地を訪問していたドイツ連邦のシュタインマイヤー首相は、開会の挨拶の大半を費やして遺憾の意を表した(21)。芸術監督とドクメンタ事務局は、この巨大なバナーを急いで黒幕で覆う対策をとったが、一向に収拾がつかず、その翌日に作品は完全撤去された。タリン・パディによれば、このバナーは30年以上に渡るスハルト独裁下における国家暴力、政治腐敗、資本主義的搾取を描いたものであり(22)、オーストラリア、インドネシア、中国で過去に展示された時は問題にならなかったが、ドイツの文脈では不適切な表象であったとし、公式に謝罪をした(23)。反ユダヤ主義疑惑の作品を徹底調査する任務のアドバイザーとなった反ユダヤ問題の専門家メロン・メンデルは、事務局の無能さを理由に就任からわずか2週間足らずで辞任した。畳み掛けるように、ドクメンタ15に参加していた数少ないドイツの作家でかつ美術業界に多大な影響力を持つヒト・シュタイエルは作品撤去に踏みきった(24)。ドクメンタのザビーネ・ショルマン事務局長は責任をとって辞任した。19 —— ナチスとユダヤを結びつける風刺画は、とりわけ1960年代のソ連で流行し、その後東欧諸国、ソ連の影響を受けた左翼運動、アラブ諸国、イスラム諸国に伝播したことから、このSSのユダヤ人のイメージは、左翼運動あるいはアラブ系メディアからインドネシアのタリン・パディに伝わったものではないかと『最終報告書』内では説明されている(Abschlussbericht, 2023, pp.32-40. 脚注5参照)。一方で、ルアンルパのアデ・ダルマワンは、ドイツ連邦議会において本作品における反ユダヤ主義の視覚コードは、オランダの植民地主義者から輸入されたものであると説明をしている(documenta fifteen, Speech by Ade Darmawan, 6.7.2022)。20 —— 反ユダヤ主義の定義やその視覚コードと歴史について、『最終報告書』第2章で詳細な説明がある。21 —— Der Bundespräsident, Eröffnung der Documenta Fifteen, 18.6.2022.22 —— 参照:町村悠香「「ドクメンタ15」のタリン・パディ作品から考える対話の可能性・不可能性──アジア・日本の木版画運動の現在地点から」『美術手帖』2022年12月22日。23 —— documenta fifteen, Statement by Taring Padi on Dismantling Peoples’ Justice, 24.06.2022.24 —— シュタイエルが作品撤去した理由は「あの場にもう言論は成立しないと悟り(…)人種差別に反対なのか、反ユダヤ主義に反対なのか、どちらかを選ばねばならない状況自体がおかしいと思った」と後に語っている(Alexander Jürgs, “Warum Hito Steyerl ihre Kunstwerke abgebaut hat”, Frankfurter Allgemeine, 23.9.2022)表象を隠されたタリン・パディの<People’s Justice>は黒いモニュメントのように見える。Installation view, Taring Padi <People’s Justice> at Friedrichsplatz, photo: Mizuki Kinその後も、タリン・パディやThe Question of Fundingだけでなく、複数の作品が、専門家だけでなく市民の手によって、反ユダヤ的だとツイッターなどのソーシャルメディア上で告発された。事態を深刻に受けた行政側は、独自に専門家たちを集めた学術諮問会議を発足させ、展示作品のうち、反ユダヤ疑惑のある作品を徹底的に分析することを約束した(25)。こうして学術諮問委員会によって会期終了間際に撤去勧告を受けたのが、パレスチナのラマラとブリュッセルを拠点に活動をするサブバーシブフィルム(Subversive Film)の《Tokyo Reels》の展示である(26)。25 —— documenta und Museum Fridericianum gGmbH, Gesellschafter der documenta stellen fachwissenschaftliche Begleitung vor, 1. August 2022.26 —— documenta und Museum Fridericianum gGmbH, Presseerklärung des Gremiums zur fachwissenschaftlichen Begleitung der documenta fifteen, 10. September 2022.かつて中東戦争の戦火から逃れるべく東京に持ち込まれた20本の映像リールはデジタルリマスターされ、それらを独自に再編集した映像と合わせて、展覧会会場でインスタレーション形式として、また映画館でスクリーニング形式として公開されていた。親パレスチナの視点で描かれた映像は、「反ユダヤ的、反シオニスト的であり、イスラエル憎悪とテロリズム賞賛を助長する恐れがあり、それにもかかわらず、文脈付けがされていない」とされ、上映の中止が求められた(27)。27 —— なお、同じ会場では旧植民地や難民の声が集められており、展示作品の関係性や導線を考えると、展示会場での視覚的な文脈は明らかだったと筆者は思う。Installation view, Subversive Film <Tokyo Reels> at Hübnerareal, photo: Mariko Mikamiこの勧告を受け、多くの参加アーティストたちは、事態の収拾のつかなさ、そして検閲のようなやり方に苛立ちを爆発させ、公開レターを全世界に向けて発表した(28)。BDS運動にかけて「Being Documenta is a Struggle(BDS:ドクメンタとは闘いである)」というポスターがあちこち貼られ、会場は政治闘争の場と化した。芸術監督チームと参加アーティストは上映の続行を主張、選考委員会兼アドバイザリーボードのメンバーたちは、引き続きルアンルパのディレクションを支援する姿勢を明らかにした(29)。当時暫定事務局長であったアレクサンダー・ファーレンホルツは、展示内容の決定はあくまでもキュレーター集団であるルアンルパに委ねられているとし、責任を回避するかのような発言がさらに炎上を呼んだ。28 —— e-flux note, We are angry, we are sad, we are tired, we are united: Letter from lumbung community, September 10, 2022.29 —— documenta fifteen, The Statement of Finding Committee, 15.9.2022.結果的に映画館での上映のみ中止となり、展覧会会場でのインスタレーションは続行されたものの、反ユダヤ主義を武器にドクメンタ15の作品撤去や中止を求める側と、それを人種差別的な悪意ある検閲として断固拒否する参加アーティストたちの対立は、最後まで平行線を辿った。止まない混乱を引きずりながら、疲弊と祝祭的な雰囲気が入り混じる中、100日間の芸術祭は閉幕を迎えた。そして閉幕から5ヶ月経った2023年2月に、学術諮問委員会による『最終報告書』が公表され、ドクメンタ事務局、芸術監督であるルアンルパ、そして反ユダヤ主義的な視覚コードを用いたアーティストの作品の問題がドイツの専門家の視点から詳細に分析されたのだった。なぜここまで炎上したのか(1)コロナ禍の反ユダヤ主義問題と綻びをみせる記憶の継承展示作品やイベントに反ユダヤ主義疑惑がかけられたことはかつてのドクメンタでもあった。例えばドクメンタ10では、オープニングイベントとして実施されたエドワード・サイードのトークへの批判が起き、ドクメンタ12では、インティファーダの混乱によりパレスチナ唯一の動物園から逃げ出し、死亡したキリン「ブラウニー」の剥製が展示され、イスラエルの軍事攻撃を批判し、無垢な動物の死にパレスチナを重ね、同地を被害者としてのみ扱うことに反発が起きた。ドクメンタ14では、フランコ・ベラルディ(ビフォ)の「海辺のアウシュビッツ」という詩の朗読イベントが企画されたが、批判され中止となった(なお、ベラルディは別の形で登壇することになる)。しかしいずれも、ドクメンタ15ほどの騒ぎにはならなかった。なぜ今回、ドイツ国内で、これほど炎上してしまったのか。真っ先に思いつくのは、近年のドイツにおける政治状況である。反ユダヤ主義に対する行政側の危機感は、2019年のハレで起きたネオナチによるシナゴーグ襲撃事件以降高まっている。2015年のシリア難民危機以来、外国人嫌悪やイスラム嫌悪も高まりを見せるが、2019年以降、ユダヤ系市民に対する犯罪は、人種差別や外国人嫌悪が動機の犯罪と一線を画すものとして政界でより重視されるようになった。2020年には新型コロナウィルスの流行で、ワクチンとユダヤ人を結びつける陰謀論が出まわった。反ワクチンデモやオンライン上の反ユダヤ的運動が増えたことで、反ユダヤ主義が動機の犯罪発生率が、2019年から2021年にかけて、2000件から3000件に急増したことは、行政側の警戒心を一層強めた(30)。2019年にドイツ連邦議会がBDS運動への制約を課す議決を下したことは先述の通りだが、逆にいうと、BDS運動がドイツ国内で影響力をふるう可能性がすでに高かったことを意味する。30 —— ドイツ連邦政府発行の「政治的動機による犯罪レポート」2020年版と2021年版の比較による。Politisch motivierte Kriminalität im Jahr 2020, Politisch motivierte Kriminalität im Jahr 2021. なお後続の調査によると2022年には約2600件まで減少しているものの、2001〜2018年までは2000件を下回っていたことを考えると、高い水準にあると言える。文化芸術業界は、不安と対立を煽るような連邦議会の議決に対して疑義を呈した。なぜならBDS運動のボイコット対象にはアーティストや学者も含まれており、それを制約するということは、出自に対する差別であり、検閲であり、表現の自由、その根幹にあると信じられている民主主義に反するからだ。また、パレスチナ関連のアーティストや作品をドイツ国内で展示・上演する際には、膨大な事前調査や裏付けが求められることになり、その事務作業が増えることから、トラブルを回避したい文化機関は、結果的にパレスチナ関係のアーティストたちを呼べなくなってしまうという懸念も当然生まれた。そればかりでなく、反ナショナリズムの理念を掲げ、国境や地域の分け隔てなく文化芸術表現を扱う文化機関には、理不尽な国家暴力や国家権力への抵抗として、パレスチナに連帯を示す個人も少なくない。こうして2020年秋には、ドイツの複数の公的文化及び学術機関が中心となり、BDS運動には反対するが、反BDS運動にも賛同しかねるという立場を表明する「The GG 5.3:コスモポリタニズム・イニシアチブ」を立ち上げた(31)。しかし反対に対する反対は解決には繋がらず、イスラエルやパレスチナの作家の招聘のハードルが上がったのは間違いないだろう。31 —— The GG 5.3 Weltoffenheit Initiativeのウェブサイト。アンゼルム・フランケは、このイニシアチブのアドバイザリーであり、反ユダヤ主義疑惑で追い込まれたドクメンタ事務局へのアドバイザリーを務め、キャンセルとなったトークシリーズ「We Need To Talk!」でも司会を務める予定だったキュレーターであるが、彼自身はBDS支持者でないと前置きをしつつ、BDS運動が不当に受ける偏見を危惧している(32)。戦後70年以上に渡り、一国による軍事的占領が続く地域で抑圧され続けている人々の抵抗運動と、ホロコーストの動機は異なるのだから、BDS運動を、安易にナチス以降の反ユダヤ主義と結びつけることはできない。一方で、歴史を遡って分析すれば、そのどちらも、西洋列強を中心とする植民地時代の帝国主義に行き着く。反ユダヤ主義と人種差別が区別されずに語られることもあるポストコロニアルの視点も重視される現在、より繊細な分析とそのための言論の場が求められているのはいうまでもない。32 —— Anselm Franke, “On the Future of documenta: We’re witnessing old structures not wanting to die”, e-flux note, September 26, 2022.天気、時間だけでなく政治にもローカルな視点が欠かせない。地下道に展示されたBlack Quantum Futurism によるポスターの一例。Public intervention of Black Quantum Futurism at Frankfurter Straße/ Fünffensterstraße, photo: Mizuki Kin地政学的に、そして歴史的に複雑なイスラエルとパレスチナの状況を理解することはただでさえ骨が折れるが、更に悪いことに、メディアによって幾重にも歪められてしまうことがある。ベルリンの複合文化施設HKW(Haus der Kulturellen der Welt, 世界文化の家)は、ドクメンタ15開幕前に「ハイジャッキング・メモリー」という公開会議を開催した。イスラエル系もパレスチナ系も含む約40名の講演者がホロコーストの記憶と継承について意見を交わす稀有なイベントであった(33)。しかし英国に住むパレスチナの活動家であるタレック・バコーニが、パレスチナ人によるいかなる抵抗運動もヨーロッパでは即反ユダヤ主義と見なされてしまうことを批判する講演の中で、パレスチナを「イスラエルの心理劇が自作自演されるキャンバス」に喩え、「悪魔化したユダヤ人」という表現を使ったことが(34)、ホロコーストの生存者を親族に持つポーランドの講演者ヤン・グラボヴスキによって問題視され、数日後にドイツの保守系の日刊紙WELTに寄稿された。その論考は、バコーニの講演で使用された一部の表現やそれに賛同した聴衆を批判するものだったが、論者の手を離れドイツ国内外のメディアへと伝播する中で、徐々に形が歪んでいってしまう。当初は使用された表現が批判対象だったが、徐々にバコーニの出席や会議そのものの存在意義に対する批判に姿を変え、やがて北米のイスラエル左派ジャーナリストから、グラボヴスキの最初の批判自体が、批判されることになってしまう(35)。33 —— Hijacking Memory, Der Holocaust und die Neue Rechte, Konferenz, 9.-12.06.2022. なおHKWのイベントは、「The GG 5.3 Weltoffenheit Initiative」に名を連ねている機関3者が主催側に名を連ねていることも付記しておく。34 —— バコーニだけでなく全登壇者の講演はHKWのアーカイブで視聴できる。35 —— Jan Grabowski, Konstanty Gebert, “Es wurde kein Beweis für die angebliche Verzerrung erbracht”, WELT, 15.7.2022.発話者、論者のセンセーショナルな言動が文脈から外されて一人歩きし、事態をより複雑に悪化させることは、ソーシャルメディアの時代にはより顕著だ。ある調査によるとドイツ国内で発行された主要新聞雑誌における「ドクメンタ、反ユダヤ主義」を含む記事の数は、2022年1月からドクメンタ15の会期開始前に既に852件あり、会期期間中は4432件まで膨れたという(36)。開幕前から既にドイツ国内でメディアフレーミングがされていた可能性を示唆している。36 —— 2023年2月23日に実施されたオンライン会議“Artistic Freedom as an Excuse”? The Antisemitism Debate at the Documenta Fifteen – Between Art and Law”でのRalf Michaelsによる調査に基づく。メディア上での炎上の原因を、ルアンルパやタリン・パディというドイツにとっての「他者性」に見る人もいる。ホロコースト関連の小説を執筆してきたエヴァ・メナセは、ジャカルタで20年前に制作されたバナーよりも、ハレでシナゴーグを襲撃したドイツの武装したネオナチの方が危険なはずなのに、前者の方が盛り上がったのは、ナチスの負の歴史と反省の義務を内面化させ、この国で反ユダヤ主義の存在を認めたくない高い道徳心を持つ人々にとって、反ユダヤ的視覚コードを持ち込んだ他者は許せざる対象で格好の餌食であったと指摘する(37)。ドイツとイスラエルの意識調査において、戦後80年たった今、負の遺産を清算しても良いと思うかという質問に、イスラエルの60%は思わないと回答しているのに対して、ドイツの49%は思うと答えている(38)。負の記憶継承に対して、政治、教育、社会、文化の様々な分野で積極的に取り組む戦後ドイツの姿勢は(39)、歴史修正主義者が幅を利かせる日本にとって学ぶところは大きいが、しかし、反省以外の選択が許されない潔癖な環境が、他者への不寛容さを産んでいるならば皮肉なことである。ナチス体制下の侵略戦争やホロコーストを中心とした過去の克服、そのための教育に積極的に取り組んできたこの国は、いまも大きく揺れ動いている。37 —— Eva Menasse, “Erregte Antisemitismusdebatte wegen der Dokumenta: Meint ihr das wirklich ernst?”, SPIEGEL Online, 29.6.2022.38 —— Bertelmann Stiftung, Deutschland und Israel Heute, 2022, Abbildung 14.39 —— 石田勇治『20世紀ドイツ史』(白水社、2005年)、川喜田敦子『ドイツの歴史教育』(白水社、2005年)ともに「シリーズ・ドイツ現代史」より。Installation view of Sebastián Díaz Morales & Simon Danang Anggoro <Sleepers, from the serie Fragments>, 3 video-channel on monitors, 7min, 2022, photo: authorなぜここまで炎上したのか(2)暴かれていくドクメンタの体質と体制近年、ドイツ国内の他の芸術祭でも参加者の反ユダヤ主義疑惑によるスキャンダルはあったが、これほどまでの炎上にならなかったことを考えると、ドクメンタがいかに世界を代表するフェスティバルとして影響力を持っているのかがわかる(40)。覇権と化したドクメンタの歴史や体質に、火に油が注がれた背景を見る人もいる。40 —— 例えば、ドイツの旧植民地であるカメルーン出身で、現在ヨハネスブルクで教鞭を振るう歴史家アシル・ムベンベは、2020年にドイツ国内で影響力のある演劇祭ルール・トリエンナーレの講演に招待されたもの反ユダヤ主義疑惑とBDS支持者疑惑をかけられ、糾弾された。註56も参照のこと。これまでも研究者やキュレーターにより、文化的に柔軟で寛容なコスモポリタンなドイツというイメージが、戦略的に作られてきたものであることは、たびたび分析、考察されてきたが、ドクメンタと政治の問題は、近年より一層注目されるようになった。2021年の初夏にベルリンのドイツ歴史博物館で開催された展覧会「ドクメンタ:政治と芸術」は、第1回目のドクメンタから第10回目までに焦点を当て、膨大な資料と緻密な研究によって、時代とともに変遷するドクメンタの政治性を裏付けるものであった(41)。ドクメンタの設立背景には、ナチスによって迫害され国外流出した抽象表現等を再評価し、西ドイツの文化的再出発を印象付ける目的があったことはよく知られている。しかしこれは、東ドイツの社会主義レアリズムの否定であり、反共産主義を掲げることであり、西側の政治世界に返り咲きをする思惑の現われに他ならない(42)。この展覧会は評判を呼び、覇権を握るほどに成長した巨大な芸術祭が自身の歴史を振り返ることを怠り、他の文化機関の研究員たちによって暴かれてしまったことを印象付けた。41 —— Raphael Gross et.al., documenta.Politik und Kunst, Deutsche Historisches Museum, Prestel, 2021.42 —— Lars Bang Larsen „Freiheitsglocke“, documenta.Politik und Kunst, 2021, S.108. なおドクメンタとアメリカの諜報機関であるCIAとの関連については、HKWでの展覧会「PARAPOLITICS」でも示唆されていたが、歴史博物館の展示カタログ収録Larsen氏の論考では実証ができていないと評価を留めている。Anselm Franke, Nida Ghouse, Paz Guevara, Antonia Majaca “Introduction”, PARAPOLITICS: Cultural Freedom and the Cold War, Haus der Kulturen der Welt and Steinberg Press, 2021, pp.13-17.ドクメンタ10から15に焦点を当て、回を重ねるたびに、美術のための美術展と、政治志向の美学の間を往来しながら、過去の批判を体内に吸収し、巨大に成長したドクメンタを分析したオリバー・マーヒャートの『覇権マシン:ドクメンタXードクメンタ15』も2022年に再出版された(43)。キュレーションの観点から過去のドクメンタを分析する本書は、コンテンポラリーアートの精通者を読者層に想定しているだろうが、ドクメンタだけでなく万博など、巨額が動く世界規模の行事は、多くの利害関係者を惹きつけ、常に政治的であったし、そうあり続けているというマーヒャートの指摘は、広く同意されるものだろう。ドクメンタも、冷戦構造やヨーロッパ主義など、創設や運営の背後に、巨大なイデオロギーが蠢めいてきた。43 —— Oliver Marchart, Hegemony Machines, Neuer Berliner Kunstverein, 2022. これは2008年の『芸術領域における覇権:ドクメンタ10から12、そしてビエンナーレ化する政治』に新たに14と15への考察を加えたものである。ドクメンタという芸術祭のマネジメントとその組織構造を問題視する声も多い。前節で見た通り、ドイツ国内で反ユダヤ主義への危機感が高まっていたにもかかわらず、ドイツ語メディアを日々見聞できたドクメンタ事務局側が、リスクを事前に予見し、対策を講じられなかったのはなぜか。渦中にいた元事務局長のショルマンは、アーティスティックディレクションとマネジメントの役割にその原因の一端を見ている。彼女は、ドクメンタという芸術祭の不可欠な要素としてアーティスティックディレクションとキュレーターの絶対的な自由を上げ、マネジメントの仕事は、プログラムへの責任ではなく、芸術チームがプログラムを実行するために技術的な自由を与えることであると繰り返し主張してきた(44)。「芸術の自由」のために、芸術監督の考えに従い、彼らがやりたいことを支援することが職務であるという考え方は理解ができる。事前に外部の専門家を招き出展作品に反ユダヤ主義的な表現が含まれていないかを確認する作業は、マネジメント側が保証する芸術的な自由と矛盾するため受け入れられないとすることもよくわかる。一方で、ドイツ国内の事情、そして文脈を理解してドイツ外部から来た仲間をもっとも身近で支援できる立場にいたのも、事務局であった。ルアンルパのキュレーションは分散型の組織を目指したが、それによって責任の所在が不明になってしまうリスクがつきまとうこと、しかしその構造に対して、芸術の自由を守るために口出しできないというマネジメント側のジレンマが浮き彫りになっただけでなく、ドクメンタ事務局自体に内面化されていた「自由でリベラル」というアイデンティティが、リスクマネジメントを阻み、自身の負の歴史の振り返りを困難にしていたことも、明らかになったのだ。44 —— documenta fifteen, Further Measures Initiated by the Management of documenta gGmbH, 23.6.2022.Installation view of Nino Bulling <Firebugs/abfackeln> at Hafenstraße 76,  photo: Mariko Mikamiなぜここまで炎上したのか(3)脱植民地思想の潮流と実践に横たわる溝そもそもなぜドクメンタ15の芸術監督にルアンルパが選ばれたのだろうか?2019年2月に発表された選考委員会の報道発表によると、地元コミュニティと国際ネットワークに基づきさまざまな人にアピールできるルアンルパのキュレーション案が全会一致で評価されている(45)。この背景には、ドクメンタの文化戦略、とりわけドクメンタ11を転換点とした以降の「コンテンポラリーアート」のキュレーションにおける脱植民思想の流れ、それを行政レベルで加速させた2017年以降の欧州における文化政策の事情という、脱ヨーロッパ・北大西洋中心主義という大きな潮流があったと考えられる。45 —— documenta fifteen, ruangrupa Selected as Artistic Direction of documenta fifteen, 22.2.2019.脱植民思想の萌芽は、フランスのカタリーナ・デイヴィットが初の非ドイツ系で女性ディレクターとして選出されたドクメンタ10(1997年)以降、すでに見られるものだった(46)。大きな転換点となったのは、オクウィ・エンヴェゾーがディレクターを務めた2002年のドクメンタ11とされる。内容の詳細は控えるが、ヨーロッパ美術と植民地史の関係性に光が当てられただけでなく、ニューデリー、セントルシア、ラゴスなどでドクメンタ関連の公式なプログラムが実施され、西欧以外の都市が重要な役割を果たし、理論が美術の中でより力を持つようになった点で転換点だったと言われる(47)。そればかりか、これまでキュレーターに権限が集中していた構造を、アフリカや南米地域に造形の深い専門家6名を共同キュレーターとして正式に任命し、集団キュレーションの試みが実施された(48)。ドクメンタ級の巨大プロジェクトは、集団的な努力が常に必要であることが表明され、逆に個人が全世界のアートを調査できるものだという傲慢な発想では立ち行かないことが暗示された。独占的に存在していた都市や視点を、複数に解放し、脱西洋中心の姿勢を顕在させた。ドクメンタ11が生んだ大きな潮流は、翌年のヴェネチアビエンナーレなど、世界各地の国際芸術祭にも届き、ルアンルパの選出もこの大きな流れの延長線上に位置付けられよう。46 —— Marchart, op.cit. しかし「ドクメンタ10に参加した110人を超えるアーティストのうち、ヨーロッパと北アメリカ以外の地域出身者は10数人。もっともその大部分がイスラエルとブラジルのアーティストたちで、この国々はれっきとした西欧文化圏であるから、非西欧文化圏出身のアーティストはナイジェリアの1人とシンガポール、中国からそれぞれ1人のわずか3名であった」ことから西欧中心主義的だという批判も出ている。(参考:名古屋覚「ドクメンタ10」『アートスケープアーカイブ』1997年)47 —— Marchart, op.cit., p.12.48 —— 6名のキュレーターは、Carlos Basualdo(アルゼンチン)、Susanne Ghez(米国マサチューセッツ)、Serat Maharaj(南アフリカ)、Ute Meta Bauer(ドイツ)、Octavio Zaya(カナリア諸島)、Mark Nashである。行政側の脱植民思想に対する近年の外圧の高まりも見過ごせない。現代のドイツ植民地と揶揄されたギリシアの首都アテネで同時開催されたドクメンタ14の閉幕から数ヶ月後、ブルキナファソではマクロン大統領によるスピーチが行われ、欧州の文化関係者を驚かせた。歴代フランス大統領として初めて、植民地時代に不均衡な力関係で文化財が不当に収奪されたことを認め、フランスにあるアフリカの文化財の返還に必要な条件を整えることを示唆する内容であった(49)。マクロン大統領は、セネガルとフランスの2名の研究者に文化財の来歴調査を依頼し、2018年11月には「アフリカの文化遺産に関する報告書:新しい関係性の倫理に向けて」、通称サール・サヴォワ報告書が発表された(50)。本報告書は、植民地時代から西洋とアフリカの不均衡な関係により、暴力的な方法で文化財が収奪され続けてきた歴史を振り返り、文化財の返還が求められた場合はそれに応じるべきであると、具体的な措置を提案している。49 —— 日本語で読める記事としては、石井暢「なぜ今、アフリカの文化財が返還されているのか=植民地主義からの脱却?」(『The HEDALINE』2023年1月27日)が詳しい。50 —— フランス語版はフランス政府のウェブサイト、英語版はチュービンゲン大学大学博物館のウェブサイトからダウンロードができる。欧州各国の主に博物館関係者の中から反発の声も出ている。そんなことをしたら、欧州で見せる展示品がなくなることや、仮に返還したとしても、アフリカの旧植民地地域では、インフラ不足で貴重な文化財の維持管理が行き届かないのではないかという、植民地思想が滲む懸念も寄せられている。報告書の執筆者の一人ベネディクト・サヴォワは、ベルリン工科大学で教鞭を振るう来歴研究の第一人者であり、当然この流れはベルリンの文化関係者、そしてドイツ全土の博物館にも広がっていった(51)。2022年冬には、ドイツ外相がナイジェリアを訪問し、19世紀に英軍により略奪され、その後ドイツの手に渡った「ベニン・ブロンズ」と呼ばれるベニン王家(現ナイジェリア)のために作られたレリーフ20点が返還され歴史的な瞬間だと称えられた(52)。しかし、2023年3月の時点で、返還されたベニン・ブロンズは、ナイジェリアの大統領から王家の後継者の手に譲渡されたことが発覚し、新たな波紋をよんでいる。ナイジェリアの人々に民主的に一般公開されることを望んでいたドイツ政府の期待は敗れ、今後の文化財の返還の流れにブレーキをかける可能性もあると言われている(53)。51 —— なおサヴォワ氏は、ドイツの脱殖民思想を巡り賛否両論となったベルリン王宮跡地のアジアアフリカコレクションを展示するフンボルト・フォーラムの委員を辞退している。52 —— Lucia Weiß, Jörg Blank und Gerd Roth “Baerbock und Roth übergeben Benin-Bronzen an Nigeria”, Berliner Zeitung, 20.12.2022.53 —— Suzanne Lenz, “Nigerias Präsident schenkt die von Baerbock zurückgegeben Benin-Bronzen einem König”, Berliner Zeitung, 6.5.2023. Installation view, Atis Rezistans/ Ghetto Biennale at St. Kunigundis, photo: Mizuki Kinこのように、現場の文化芸術関係者だけでなく行政レベルでも脱植民思想を取り入れたいドイツにとって、2022年に実施されるドクメンタ15において、インドネシアのコレクティブをディレクターとして招くことは、ある意味では自然な流れだったかもしれない。しかし、ルアンルパはこの与えられた「覇権の席」に座ることを拒んだ。それどころか、仕組みを変えようとした。ミ・ユーが指摘するように、左寄りの美術批評家たちがドイツの官僚的な制度や態度を批判することは、構造そのものを造り(変える)よりも簡単だ(54)。グローバルサウスの人々は、制度を構築し、維持することがいかに重要かを、身をもって熟知してきたのだ。「ルンブン(lumbung)」、「ソバソバ (sobat-sobat)」、「ノンクロン (nongkrong)」というインドネシアの言葉と概念を、グローバル言語の英語に翻訳せずにそのまま用いたことは、既存の独占的な制度から逃れる方法の模索の表れだっただろう(55)。「アートではなく、ともだちを作ろう」というモットーは、旧来の「アート」では回収できない生活に密着した運動体を体現するものであっただろう。このヴィジョンは、ディレクターへの就任が決まった当初から一貫している。54 —— Mi You, “What Politics? What Aesthetics?: Reflections on documenta fifteen”, e-flux, Issue 131, November 2022.55 —— ドクメンタ15で用いられた概念の用語集はこちら。しかし、ルアンルパのこうした姿勢は、自らの首を絞めることにもなってしまう。「アートでなく、ともだちを作ろう」というモットーは、一見インクルーシブで耳に心地がよく響くが、「ともだち」という線引きがどこかでされる時点で、エクスクルーシブに働いてしまうことがあり、今回のように敵対構造を生み出す可能性を秘めている。「どちらかを選ばなくてはいけないことは、おかしいと感じた」とヒト・シュタイエルを追い込み、作品撤去しかないと思わせた排除の力があった(56)。ルアンルパの方法論としてカラオケが喩えられることもあるが(57)、フリデリチアヌム美術館の裏で夜な夜な実施されるカラオケパーティーに入れることができれば祝祭的な雰囲気を共有できるが、入れなければどこか仲間外れにされた気持ちになるだろうし、そのどちらを選ばせる構造に違和感を感じる人もいるわけだ。自分と価値観の近い人たちと一緒にいた方が心地良いのは多くの人にとって当てはまるだろうが、「自分たちの価値観を共有できるならば、私たちのともだち」と読み替える事ができえるこのモットーを、ドクメンタという公共空間に持ち込むこと自体イデオロギーでもある。『最終報告書』では、「20世紀の歴史は、平和や友情という概念を無条件で信じてはいけないという事を教えてくれた。冷戦時代には、これらの言葉はあまりにも頻繁に誤用され、集団のイデオロギーは多くの国々で収奪、独裁、不正と結びついた」と指摘されている。戦後ドイツの譲れない道徳的価値観として反ユダヤ主義の撲滅が挙げられるが、この価値観を擁護することが、ルアンルパの価値観にとっては検閲や新植民地主義に当たるならば、そこで「ともだち」という響きは何とも頼りない。56 —— Alexander Jürgs, “Warum Hito Steyerl ihre Kunstwerke abgebaut hat”, Frankfurter Allgemeine, 23.9.2022.57 —— David Teh, op.cit.一方で、既存のドクメンタの制度や構造に搾取されないこと、むしろドクメンタが自分たちの「旅」の一部となること、そのためには展覧会で何を見せるかという思考ではなく、誰と働きたいか、誰からインスピレーションを得たいか、そして誰から学びたいかという思考からスタートすることを主張してきたルアンルパにとって、どんな批判を受けようが、その目論見は達成したように思う。ルアンルパが、ドクメンタに象徴される西欧の制度に立脚し集約されるコンテンポラリーアートのフェスティバルに対して、ドイツをはじめ北大西洋諸地域で盛り上がるさまざまな「脱」(脱西洋、脱中央、脱殖民)よりも先に、そうした同時代的な流行とは別のルートで生まれた自分たちのキュレーションの方法、組織の構築の仕方、意思決定プロセスを持ち込み、異なる世界の成り立ちを示したことは、確かな足跡を残した(58)。58 —— 西洋起源のキュレーションはコレクションを守るという意味であったが、そもそもコレクションがない、あるいはインスティトゥーションが整備されていない場合は、その起源は異なるだろう。<Not Everything is Lumbung> at Friedrichplatz, photo: Mariko Mikamiなかったことにはできない。ではどこから始めるかドクメンタ15の評価を巡り、語り手の立場や時期によって、評価が大きく分かれること、それが政治、社会、歴史を背景に複雑に絡み合っていることが、改めて確認できたが、しかし、大きな問いが残る。そもそも、地政学およびイデオロギーのレベルで違いがある上で、制度を共に構築することは可能なのだろうか。惑星レベルでの政治を想像することは、可能なのだろうか。炎上の直接のきっかけとなったタリン・パディのバナーは、ほとんどの来場者に見られることなく、撤去されてしまった。経緯の説明を記し、黒い幕のモニュメントとして置いておくことで、議論の場を生み出す可能性も残されずに。フリデリチアヌム美術館でのThe Black Archivesの展示で、黒人の人相学的特徴が描かれているところをグレーで覆い隠し表象をめぐる政治へ鑑賞者の想像を引き出そうとした手法が参考にされることもなく(59)。もちろん、フリードリヒ広場という屋外の目玉会場であり、入場料を払わずに誰でも24時間みることができる公共空間での展示は、ヴァンダリズムの懸念もあっただろう。しかし、隠そうが、撤去しようが、ソーシャルメディアやインターネット上でイメージが流通し、存在が完全に消えるということは、もはやない。一度誰かの手によって生み出され、そして消されたイメージは、サイバー空間を、人々の頭の中を、亡霊のように浮遊し続ける。起こってしまったことを、なかったことにはできないのだ(60)。59 —— LAUREN TRESP, Documenta 15: What You Need to Know About the History-Making Quinquennial, Southwest Contemporary, 26.10.2022.60 —— 元ドイツ植民地であるカメルーンの歴史家のアシル・ムベンベ氏が文化財返還に対して繰り返し述べている言葉—植民者が略奪したものは物理的なものだけでなく知識など無形のものを含み「決して取り戻すことのできないもの」が想起される(Achille Mbembe, WILDE OBJEKTE, 2020)。なお、本稿では詳しく触れることができなかったが、ムベンベ氏も、反ユダヤ主義者でBDS支持者という疑惑にかけられ、ドイツ国内で影響力のある演劇祭ルール・トリエンナーレ2020への招待講演に対する反対運動が起きスキャンダルとなったが、新型コロナ感染症により演劇祭そのものが中止となり、その後議論は下火となった。ポストコロニアル研究における反ユダヤ主義と人種差別の扱いは今後も大きな課題であることは間違いない。Installation view, The Black Archives at Fridericianum, photo: Mizuki Kinそもそも一連のスキャンダルは誰のもので、誰にとっての解決なのか。自分の常識は他者の未知であり、逆もしかりである。この世の中に、同じ個体が誰一人として存在していない以上、そこには何十億通りの常識と未知が有象無象とある。絶対的な一つの答えなどない。けれど、共同体や国という個人を超えた力関係が複雑に積み重なった文化規範を生きる誰もが、他者の常識を少しずつ身につけ、内面化させる。当然のように相手にも同じような価値観を期待する。期待が満たされない時に不満が爆発し攻撃的になることもある。しかし、一歩立ち止まり考えてみれば、そもそも解決策に到達できる人など限られていることに気づく。解決案に飛びつく前に、あるいは批判する前に、解決のための情報にアクセスできない人がいることに、そこにまったく違う価値観の他者が存在することに、思いめぐらすちょっとした間が必要ではないか。ドクメンタ15では、特権的な社会からは見えにくく、疎外された人たちの声があちこちに響いていた。「RomaMoMA」プロジェクトでは、シンティ・ロマの背景を持つ人々の作品が展示されていた(61)。ロマはナチス・ドイツの民族絶命政策の被害者であったが、ユダヤ人とは異なり、支援する国家や団体を持たないため、ロマに対する問題意識は大きく遅れ、西ドイツがロマに対するジェノサイドを正式に認めたのは、1980年代に入ってからである。定住が進みつつあるとはいえ、今でも差別の目は向けられ続けている。61 —— RomaMoMAのウェブサイト。「Komîna Fîlm a Rojava」は、シリア北部のクルディスタン西部にあるロジャヴァ自治区を拠点とする映像作家のコレクティブであるが(62)、《Lonely Tree》という2017年の作品では、公式な歴史には決して記録されないクルド系住民の歴史が、歌になって伝承されていく様が、人々の力強い声と軽快な打楽器からなる音楽と共に描かれている。エルドアン大統領の再選で、クルド系住民やその支持者たちに言論の自由はない。世界のどこでも不均衡な力関係下で、社会や国家のスケープゴートは生まれる。しかし圧倒的な力の差を前にしても、生き延びようとする声がある。62 —— Komina Film a RojavaのYouTubeチャンネル。Installation view, Komîna Fîlm a Rojava, Fridericianum, photo: Mariko Mikamiこうした声の持ち主に耳を傾け、想像力を働かせ、個人の解像度をあげるには、どうしたらよいか。サバルタンの声を奪っているのはサバルタンと名付けた人々かもしれない。街をあるけば《躓きの石》と出会い、ホロコーストへの負の記憶を想起させる装置がインフラに組み込まれているこのドイツ社会で、ロマやロジャヴァなど犠牲者のヒエラルキーの下部に属する存在を想起するにはどうすれば良いのか(63)。反ユダヤ主義の撲滅が絶対的な価値観の地域で、それとは異なるイスラエル観を持つ被植民地の人々の存在をポストコロニアルの時流の中でどう考えれば良いのか。西洋型民主主義が当たり前でない地域の問題や、視点や関係性によって、犠牲者・敗者・弱者と、加害者・勝者・強者が入れ替わる両義的な問題について、いかに対話をしていくのか。何・誰を含め、何・誰を含めないのか、この線引きをするのは制度を構築し、決定権を持つ側であり、対象に含まれるのか、除外されるのを告げられる当事者たちではない。しかし、制度の外で、制度の言葉では回収できないような有機的で時に霊的とも言える繋がりや運動が生まれ、その土壌が独自に耕されてきたことは事実である。「アート」「キュレーション」「インスティトゥーション」など、あたかも共通言語のように使用されている言葉の背景にある、地域による系譜の違いを想像し、言葉が理論の奴隷になるのでなく、理論が想像力を解放するようにするには、どうすれば良いのだろうか。視点を複数化するアートは、一つであるはずがない。日本を含め、各地で乱立する国際フェスティバルやプロジェクトは、アートそのものをどう複数化できるのか。あちこちで起きている小さな運動の蓄積はやがて地殻変動を起こすかもしれない。その先に惑星レベルの政治を想像できるか。ドクメンタ15が突きつけたアポリアは簡単に解くことはできそうもないが、しかしそれは限りなく開かれている。63 —— 《躓きの石》プロジェクトの詳細はこちら。三上真理子(みかみ・まりこ)東京大学総合文化研究科で比較文学比較文化を学んだのち、研究支援機関勤務を経て、現在はデュッセルドルフと東京、時々ベルリンを行き来しながら、近現代視覚文化のキュレーション、プロジェクトマネジメント、リサーチ、翻訳、執筆などさまざまな活動にたずさわる。近年のプロジェクトに「ミン・ウォン:偽娘恥辱㊙︎部屋」(ASAKUSA、2019年)、「オモシロガラ」(DKM美術館、2021年)、「Resonances of DiStances」(BOA/Kunstverein Leverkusen、2021年)、「ハイドルン・ホルツファイント:こんな今だから。」(ASAKUSA、2022年)など多数。

「ワークショップ時代」と文化芸術におけるファシリテーション

加島卓

「ワークショップ時代」と文化芸術におけるファシリテーション加島卓ワークショップとは?社会学者の牧野智和によると、日本で「ワークショップ」という言葉が広く使われるようになったのは1990年代から2000年代にかけてである。まちづくり、環境教育、演劇、美術、心理療法、社会教育や学校教育など「さまざまな文脈で行われていたさまざまな実践」がワークショップという言葉で束ねられ、「活動の意義や問題点、解決策を探る思索やさらなる実践がまとまったかたちで検討」されるようになったのが1990年代だという(1)。こうした動向を整理した中野民夫の『ワークショップ』(岩波書店、2001年)は、2000年代以降のワークショップ論の基本文献である。中野によると、ワークショップとは「先生や講師から一方的に話しを聞くのではなく、参加者が主体的に論議に参加したり、言葉だけでなくからだやこころを使って体験したり、相互に刺激しあい学びあう、グループによる学びと創造の方法」である(2)。このエッセイではワークショップが双方向的なやりとり、つまり相互作用(インタラクション)を重視している点に注目したい。そこでまずはワークショップがなぜ相互作用を重視しているのかを確認し、次に現状への批判的論点を確認し、さらに相互作用を促すファシリテーターについても確認したうえで、最後に文化芸術におけるファシリテーションについて雑感を述べたい。ワークショップの制度化それでは、なぜ相互作用が重視されるのか。社会学なら次のように考える(3)。相互作用の重視は、1970年代以降の社会傾向の一つである。その背景には、相対的に豊かになった人びとのニーズに対して、行政や専門家が十分には対応できなくなったという事情がある(社会の個人化)。そこで注目されたのが、地域住民や市民ボランティアである。目の前に困っている人がいるならば、行政や専門家の手続き主義的な対応を待つのではなく、地域住民や市民ボランティアで相互に助け合おうというわけである。こうしたことから、相互作用は行政や専門家といった「上から」の対応への批判として意味があったと思われる。そしてこのような対抗運動的な意味を持つ「下から」の実践として、相互作用を重視するさまざまなワークショップが注目されるようになった。ところが2000年代になると、この「上から」と「下から」の関係に変化が見られるようになった。行政は都市計画やまちづくり、文化振興などにおいてワークショップを取り入れ、地域住民や市民ボランティアを積極的に活用するようになった。タウンミーティングの開催やパブリックコメントの募集、市民参加型の公募や指定管理者制度の導入なども関連した動きである。これらは「下から」の対抗運動的な実践、つまりオルタナティブであることに意味があったワークショップが「上から」の制度に組み込まれた状態だと考えられる。住民が行政の意志決定プロセスに参加できるようになり、市民ボランティアが公共施設などで活躍できるようになった2000年代は、相互作用を重視するワークショップの制度化が進んだと理解することができる。このように考えると、相互作用を重視するワークショップの背景にあるのは、行政と住民、専門家と市民、そして住民や市民同士の関係性の見直しである。なんでもかんでも行政や専門家に任せるよりも、地域住民や市民ボランティアを活用すれば、多様なニーズに柔軟に対応できる場合もある。ならば、住民や市民の相互作用を促す役割に行政や専門家は徹すればよいのではないか。このようにして相互作用を重視する雰囲気が生まれ、そこでの新しい関係性は協働(パートナーシップ)と呼ばれ、協働のための「場作り」や「ファシリテーション」が注目されるようになったのである。ワークショップ時代こうしたワークショップの制度化、すなわち協働は「小さな政府」、または民間の経営手法を行政に導入するNew Public Managementと相性がよい。たとえば、行政は民間のコンサルタントに多くのタスクを外注するようになり、公共施設では指定管理者制度や市民ボランティアを積極的に導入するようになった。こうした現状は「新自由主義」的だと批判されることがある。たとえば、協働を動員の手段と捉え、やりがい搾取やコストカットによるサービスの低下を問題視することである。こうした批判は部分的には正しく、改善が必要な現場も少なくない。しかしこうした批判に目もくれず、学校教育やまちづくり、そして芸術振興の現場では「みんな」を集めたワークショップが積極的に導入されているのも事実である。また、そうしたワークショップの実施報告書が膨大に書き残されてもいる。こうした現状は「ワークショップ時代」と表現できるかもしれない。ワークショップ時代とは、行政や専門家だけでなく、地域住民や市民ボランティアもそれぞれに知識を持ち寄り、社会のさまざまな意志決定を行う現代社会を表している。多くの人びとに参加を促すワークショップ時代は、全体を俯瞰して整理するのが今まで以上に難しい。あえていえば、誰が何をどのように主導しているのかが特定し難いまま、さまざまな意志決定が行われるのがワークショップ時代の特徴である。ファシリテーターへの注目ワークショップ時代に重要な役割を担うのが「ファシリテーター」である。先述した牧野によると、ファシリテーター論はワークショップ論と並んで1990年代に議論が積み重ねられ、「プロセスに中立的に関わり、対等で平等な関係づくりと共同作業ができるように、また共同作業の成果と個々人の学びがより豊かになるように、状況に応じた適切な支援を行っていく存在」がファシリテーターと呼ばれるようになった(4)。教師や専門家と異なり、ファシリテーターはワークショップ参加者の相互作用を促す役割なのである。組織開発が専門の中村和彦によると、ファシリテーターによる促進は①ラーニング、②タスク、③リレーションの三つに分類できるという。①ラーニングは「体験を通じて気づきを得ることや学ぶこと」の促進、②タスクは「課題解決や合意形成」の促進、③リレーションはメンバーの「関係性」の構築を目指すものである(5)。たとえば、作品制作などアート系ワークショップは①ラーニングと③リレーションを組み合わせた活動、公共施設のあり方などを決めるまちづくり系ワークショップは②タスクと③リレーションを組み合わせた活動、と考えられる。そのうえで悩ましいのは、アートによるまちづくり系ワークショップのファシリテーションではないだろうか。というのも、アート系ワークショップでは参加者一人ひとりの違いを尊重するが、まちづくり系ワークショップでは参加者で集団的な決定を行う場合があるからである。ここには個々人の考えと集団の決定をいかに調停するのかという難題が含まれている。そのためか、実際には事前にワークショップの方向性をある程度調整し、そこを目指して議論を進行できるファシリテーターが選ばれる場合がある。また、クライアントの意向を汲んだコンサルタントにファシリテーションが外注される場合もある。ワークショップには多様な人びとの参加が促されるが、実は誰もがファシリテーターを担えるというわけでもない。参加者の相互作用を重視するといっても、相互作用をどう整理すればよいのかは誰かが考えなくてはならないのである。ワークショップ時代の文化芸術におけるファシリテーションについて私自身は、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会のエンブレム取り下げおよび再選考の分析を通じて(『オリンピック・デザイン・マーケティング:エンブレム問題からオープンデザインへ』河出書房新社、2017年)、特に専門家と市民の関係に注目してきた。それを踏まえ、最後にワークショップ時代の文化芸術におけるファシリテーションについて、三つほど雑感を述べたい。一つ目は、ワークショップ時代において専門性と大衆性の対立をいかに調停するのかである。専門家から見れば、市民参加にしないほうが表現の質をコントロールすることができる。他方の市民から見れば、専門家による表現が多くの人に受け入れられるとは言い切れない。多様性を肯定する現代では、専門家が市民を説得できない場合もあり、その場合はより多くの人が意志決定プロセスに関われる市民参加が採用されることになる。こうした時、専門家と市民の「あいだ」をいかに調停するのかは重要な課題となり、「誰がファシリテーターだったのか?」が調停において重要な意味を持つことになる。二つ目は、ワークショップ時代においては公式の市民参加とは別に非公式の市民参加もありえることである。公式の市民参加は行政のプロモーション素材となり、学校教育などとも関連づけられ、新聞やテレビで報道される。そのためか、公式的な市民参加のファシリテーションは予定調和になりやすい。これに対して、非公式の市民参加は社会運動や二次創作、炎上なども含まれ、賛否両論の意見が噴出する。あえていえば、これらは対抗運動的なワークショップに近く、主張が明確なアクティビストが実質的にはファシリテーターとなるのではないか。三つ目は、ワークショップ時代においては公式の報告書とは別に非公式の記録が残される点である。非公式の記録には、公式の報告書には書かれない距離感や他にもありえた可能性が残される。もちろんそこには偏りや思い込みが含まれている場合もあるが、重要なのは市民参加をめぐって複数の意見がどのように並立していたのかを後でも確認できるようにしておくことである。あえていえば、非公式の記録はサブカルチャー的な性格を帯び、そうした記録が多ければ多いほど、私たちは他にもありえたかもしれないメインカルチャーのあり方を構想できるようになると思われる。先述したように、ワークショップ時代の特徴は誰が何をどのように主導しているのかが特定し難いまま、さまざまな意志決定が行われる点にある。こうしたなかで重要な役割を担うのがファシリテーターであり、実はそのファシリテーター選びが、専門性と大衆性の調停、市民参加のあり方、そして記録の残り方に大きく関わっていると思われる。こうしたファシリテーターをリーダーシップの一段ずらしにすぎないと思うのかどうかは、評価が分かれるところであろう。しかし少なくとも、別のファシリテーターであれば別の結論が導かれるのかもしれない。こうした想像力を持ち続けることが、「正解」のないワークショップ時代の私たちには求められているように思う。註1 —— 牧野智和「ワークショップ/ファシリテーションはどのように注目されてきたのか」、井上義和・牧野智和(編著)『ファシリテーションとは何か:コミュニケーション幻想を超えて』ナカニシヤ出版、2021年、pp.79-85a2 —— 中野民夫『ワークショップ』岩波新書、2001年、p.ii3 —— 加島卓・元森絵里子「ワークショップ時代の統治と社会記述」『年報社会学論集』(第34号)関東社会学会、2021年、pp.29-36 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kantoh/2021/34/2021_29/_pdf4 —— 牧野智和「ワークショップ/ファシリテーションはどのように注目されてきたのか」、井上義和・牧野智和(編著)『ファシリテーションとは何か:コミュニケーション幻想を超えて』ナカニシヤ出版、2021年、pp.87-905 —— 中村和彦「ファシリテーション概念の整理および歴史的変遷と今後の課題」、井上義和・牧野智和(編著)『ファシリテーションとは何か:コミュニケーション幻想を超えて』ナカニシヤ出版、2021年、pp.93-98加島卓(かしま・たかし)1975年生まれ。東海大学文化社会学部広報メディア学科教授。専門は、メディア論、社会学、広告史、デザイン史。著書に『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織とめぐる揺らぎ』(せりか書房、2014年)、『オリンピック・デザイン・マーケティング:エンブレム問題からオープンデザインへ』(河出書房新社、2017年)。

腐敗、ガバナンスの問題について

溝口哲郎

腐敗、ガバナンスの問題について溝口哲郎安倍元首相の死がもたらしたもの2022年7月8日、日本の元首相である安倍晋三氏が選挙応援の演説中に、凶弾に倒れた事件は記憶に新しい。様々な批判はあったものの、一国の首相として活躍していた現役国会議員が死亡するという事件は、その死とともに国内外に大きな衝撃をもたらした。ところがその後、暗殺実行犯の背景や調査が進行するにつれて、安倍氏の権力保持の裏には宗教団体(世界平和統一家庭連合)とのつながりがあることが判明した。選挙票の差配や選挙運動にこの宗教団体が協力をしていた。その見返りに世界平和統一家庭連合の家族観や考え方などが政策に反映することが多くなり、政教分離の問題を含めてマスメディアで大きく報道されたことは記憶に新しい。死によって明らかにされた事実は、権力基盤が特定の団体などに支えられているということであった。7年8か月にわたり、日本の政治・経済を担ってきた安倍政権。しかしながら長期政権になるにつれて、政官財を巻き込んだ様々な公私混同が散見されるようになり、縁故主義的な腐敗案件がみられるようになった。学校法人森友学園が、大阪府豊中市の国有地を学校用地として購入する際に、安倍首相との関係を忖度した財務省が大幅な値引きを行い、国有地を売却。その後、財務省がこの経緯の改ざんを行った問題である森友学園事件、52年間どこの大学も許認可が得られなかった国家戦略特区事業として獣医学部を新設した加計学園問題でも、首相と理事長の間の親密な関係から特別な便宜が図られたのではないかと指摘されている。また新宿御苑で毎年開催されている桜を見る会においては、各界で功労・功績がある人々を慰労するためのものであったが、首相や自民党関係者が招待枠を持っており、支援者を招待していたのではないかという指摘があり、公職選挙法違反の疑いがあるとしたものである。ここでも公文書管理の問題が指摘されており、これらの事案が追及されながらも、「大したことではない」「野党は反対ばかりして、邪魔ばかりをしている」という声が拡散し、結局うやむやにされてしまった。これらの問題の背景にあるのは、縁故主義がもたらす弊害である。首相との関係によってビジネスが決まるという状況により、身内びいきが助長してしまった。その結果、国民の税金が非効率な形で支出されてしまった。特に安倍政権においては、権力者である首相の威光により、一部の官僚が公益ではなく、私益のために暗躍するようになった。官邸官僚に情報が集約され、官僚は自らの利益(出世)のために、官邸官僚に盲従した。その結果、公文書破棄や改ざんに手を染め、国会においても不誠実な答弁を繰り返していたのは記憶に新しい。官僚とは公文書に依拠して自分たちを正当化する存在であるのだが、自らの正当性の存在を保証する公文書を改ざんすることで、公僕としての存在意義を失い、権力者の腐敗を正当化するために生ける屍化してしまった。官邸による情報管理の統制の徹底と、官邸官僚によって支えられた権力の一極集中によってもたらされた世界は、腐敗を受容しやすく、権力者が人々を分断しやすい社会と化してしまっているのが目下の日本である。具体的に言えば、「快か、不快か」の立場から反対を表明する発言者が多く、熟議によるプロセスがないがしろにされている。SNSによって、自分と同じような考えを選択し、自分の信念が強化されるエコーチェンバー現象により、冷静な判断が失われている状況では、あからさまな腐敗行為が自分の嗜好によって判断される。倫理的な問題として腐敗が自分たちに関係がなければ問題ないとする状況が、安倍政権下では進行した。そのためマスコミによる印象操作もあり、野党の負のイメージに助けられ、消極的に政権を支持する人たちが増加し、そのことにより「公正」「正義」の理念が失われてきたといえよう。現政権が7年8か月の間に起こした様々な疑惑や事件に対して我々は目を背けず、追及しなければならない。国会答弁を見ていると明らかなように、さまざまな問題に対する説明責任に対して話題をずらして対応し、国民の関心を逸らすやり方は「ご飯論法」と呼ばれ、野党の質問に対して論点外しで責任回避していると指摘されても仕方がない。このようなやり方が社会全体に浸透することによって、国民は冷笑化し、政治問題に無関心になりつつある。政官財で蔓延する縁故主義とそれに随伴する腐敗が蔓延した結果、我々はそれが当然である状況を無意識に受容している現実がある。そんな状況を打破するためには、腐敗の本質とその問題点を皆で理解し、腐敗を可視化し、不誠実と戦っていくための仕組みを国民全体で考える必要がある。そこで、腐敗防止の歴史をひも解くことで、なぜ腐敗防止の問題が重要なのかを考えていきたい。腐敗とは何か腐敗の問題は古今東西、様々な文学作品で取り上げられてきた。例えば、ダンテの『神曲』の地獄篇の第八の圏谷の第五の濠においては、職権を濫用して利益を得た役人たちが、煮えたぎる瀝青の中に漬けられ、表面に出てくると12人の悪鬼によって罰せられるという地獄であった。また日本においても、山吹色のお菓子という言葉が賄賂の隠語として利用されていたのは、時代劇などで記憶に新しい。そのほか様々な作品で腐敗・汚職は取り上げられており、その例には枚挙にいとまがない。このように腐敗の問題は古くから人々の間で認識され、防止策が講じられていた。国際的な腐敗防止NGOであるトランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗の定義によれば、「私益を得るために,公的に与えられた権限(公的な権力)を濫用する行為」である。具体的には、公務員が賄賂等を受け取り、その見返りに公共調達などの契約を締結することである。短期的には、腐敗によって便益を得る人々もいるが、腐敗のコストは、公務員に支払われた賄賂の総額だけではなく、社会全体に悪影響を及ぼす可能性がある。つまり、腐敗が蔓延することによって政治的・経済的な歪みが社会全体に生じ、さらなる腐敗の連鎖が起こる可能性がある。そのため、腐敗防止を全世界的に考えることは重要であった。次になぜ腐敗の問題が持続可能な開発目標(SDGs)で達成すべき目標になっているのかを見ていきたい。国連ミレニアム・サミットからSDGsへ腐敗・汚職の問題は良いガバナンスを達成するために解決しなければならない重要な問題として、1990年代半ばより腐敗防止の取り組みがなされてきた。ただし腐敗防止という表現ではなく、説明責任、政府の透明性の向上という間接的な表現で、腐敗防止を提唱していた。特にグット・ガバナンスおよび腐敗防止が注目を集めた理由は、両者の達成が人間開発・貧困削減につながるという認識があったからである。特に注目を集めたのは、2009年9月、ニューヨークで行われた国連ミレニアム・サミットである。ここで、貧困撲滅、環境・教育・保険衛生の改善および向上などの8項目を謳ったミレニアム宣言が採択され、実現のロードマップとしてミレニアム開発目標(MDGs)と呼ばれる政策目標が設定された。腐敗防止はMDGsでは明示的に触れられてはいないが、開発を阻害する可能性のある腐敗については、国際社会の腐敗・汚職との闘いに対するコミットメントに伴い、各国政府、市民、企業が当事者意識で解決を模索した。開発途上国は、腐敗防止とグット・ガバナンス推進を目標に、そして民間企業は企業コンプライアンスの一環として、腐敗防止プログラムを導入、持続可能な開発目標(SDGs)へと引き継がれていった。腐敗とSDGsMDGsを継承する形で2015年から2030年までの達成目標としてSDGsが設定された。腐敗と関連する項目は、目標16「平和と公正をすべての人に」で、小項目である12のターゲットのうち、腐敗に関連するものは、16.3, 16.4, 16.5, 16.6, 16.7, 16.aであり、その中でも特に16.5と16.6の2つが腐敗と関連している。以下目標16のうち、関連する小項目をピックアップしてみよう。16.3国家および国際的なレベルでの法の支配を促進し、すべての人々に司法への平等なアクセスを提供する。16.42030年までに、違法な資金および武器の取引を大幅に減少させ、盗難された資産の回復および返還を強化し、あらゆる形態の組織犯罪を根絶する。16.5あらゆる形態の汚職や贈賄を大幅に減少させる。16.6あらゆるレベルにおいて、有効で説明責任のある透明性の高い公共機関を発展させる。16.7あらゆるレベルにおいて、対応的、包摂的、参加型、および代表的な意思決定を確保する。16.a特に開発途上国において、暴力の防止とテロリズム・犯罪の撲滅に関するあらゆるレベルでのキャパシティ・ビルディングのため、国際協力などを通じて関連国家機関を強化する。16.b持続可能な開発のための非差別的な法規および政策を推進し、実施する。とあり、目標16は、政治的腐敗や賄賂を撲滅し、不法に得られた資金の流れを阻止する上で具体的な目標を掲げている。腐敗撲滅はすべてのSDGsの目標を成功させるための土台である。実際、2017年当時のIMF専務理事であったクリスティーヌ・ラガルドも政治的腐敗の混乱がもたらす問題について、「腐ってしまった基礎の上に家を建てることはできない」と述べており、政治的腐敗を解決することこそが重要であると述べている。SDGsの目標16に企業等が積極的にコミットし、腐敗行為を行わないような企業風土作りが求められている。腐敗の問題とは公務員や政治家が賄賂等を受け取り、その見返りに公共調達などの契約を締結する行為である。政府が多額の賄賂が入ってくる社会的に見て無駄なプロジェクトを好むようになり、経済的・社会的な価値を生むプロジェクトを選択せず、資源配分の無駄が生じる。結果として、様々な形で政治的・経済的な歪みが社会全体に生じ、さらなる腐敗の連鎖が起こる可能性があり、社会全体に悪影響をもたらす恐れがある。経済学において資源をいかに無駄なく、適材適所に配分する理想的な状態(パレート効率的な配分)が成立することは現実では難しいが、腐敗が存在するとその達成はさらに困難なものになる。つまり、腐敗は社会全体に①適材適所という意味での資源配分の効率性を損ね、②社会全体の格差を広め、③社会を支える法制度などの基盤インフラの機能を弱める。腐敗が拡がると、社会的規範が緩み、市民の価値観が「賄賂支払いが当たり前」の社会になってしまう結果、公式なルールに則った統治体制が崩壊する。つまり、賄賂が支払えるような個人は、社会の法制度を歪めることで、社会全体の分断を招き、その結果社会の調和が乱される。最悪の場合、市民の間で大きな対立、社会情勢によっては争いが起こる可能性がある。フィスマンとゴールデンが指摘しているように、腐敗の直接的効果(賄賂)より、上記のメカニズムにより政府や市場機能に悪影響をもたらす間接的効果が大きいことが腐敗の問題点である。つまり賄賂を支払わない限り、物事が進まない状況(「地獄の沙汰も金次第」)になるため、国家制度が意味をなさなくなる。腐敗による悪影響は枚挙にいとまなく、国連広報センターの2016年の調査によれば、腐敗や贈収賄、窃盗、租税回避により、開発途上国に年間140兆円の損害が生じている。世界経済フォーラムの2013年の調査によれば、汚職のコストは世界のGDPの5%に上がると推計されており、SDGsを達成するための大きな脅威となっている。腐敗は効率的なのか?ビジネスの許認可に関わる役人の腐敗・汚職は、民間の経済活動を阻害する。日常生活レベルでの腐敗行為は、一部の経済体制移行国・開発途上国において「贈賄行為」自体がシステムとして社会規範に組み込まれている。社会全体で腐敗が許容されてしまうと、効果的な経済発展が見込めない。法制度など適材適所の条件が整っていない国々の場合、腐敗がどのような効果をもたらすのか、経済学の領域において長らく論争になっていた。論争のコアとなる主要論題は2つある。1つは「腐敗・汚職は資源配分の効率性を促進する可能性がある」という「潤滑剤」仮説(レフ(1964))で、もう一方は腐敗・汚職は非効率性を是正するよりも、むしろ悪化させるという「滑り止めの砂」仮説(カウフマンら(1999))である。前者の考え方では、政府が無能である場合、腐敗によって経済全体にとってましな取引が行われ、政府の失敗を緩和するために、次善の意味で資源配分の効率性が高まる可能性があるとする。一方、後者の考え方は、国家制度のもとで官僚がレントを追及するために資源配分の効率性が損なわれる可能性がある。そして数多くの実証研究の結果から、腐敗の「潤滑剤」仮説は却下されている。官僚は人為的なレントを生み出すために規制を設定する。このレントを獲得するために企業または個人は腐敗・汚職をするインセンティブを持つ。この潤滑剤仮説を実証的に検証すると、資源配分の効率性の観点からすでに腐敗・汚職が存在する経済の場合には、腐敗・汚職はあくまでも次善の資源配分の効率性でしかない。なぜならすでに無能な政府が課した規制による資源配分の歪みが存在するからである。そのため腐敗・汚職によって規制を回避という意味で効率性は改善するが、その分取引費用が掛かるために、最善にはならない。そのため、現在では「滑り止めの砂」仮説が支持されており、腐敗は資源配分の効率性を損ねるため、防止することが重要になる。クローズアップされた腐敗の問題ではなぜ腐敗の問題が注目されたのか。1980年代に実施された世界銀行や国際通貨基金などによる開発途上国への援助とそれに付随する構造調整プログラムの失敗にあった。個々のミクロレベルの援助プロジェクトがうまくいっているのにも関わらず、集計したマクロレベルの援助になるとその効果が見られない場合、腐敗が失敗に関係していることが多かった。ゆえに国際的な援助機関においては、効果的な援助を達成するために、様々な手法を開発、導入することになる。そこでは開発援助の成果が重要視され、財政面におけるPDCAサイクルの確立、透明性の確保、腐敗防止などが政策課題に挙げられるようになり、公共財政管理という財政管理手法が確立された。この手法を効果的にするために、援助が本当に効果的・効率的に利用され、私腹を肥やすために利用されていないのか、提供されたお金が貧困を脱却するために十分なのか?という状況を評価するための指標を作成する必要があった。腐敗・汚職を可視化する腐敗・汚職は違法行為とみなされているが、新聞報道や内部通報などで暴露されないかぎり、大半は水面下に隠れているため、客観的なデータの作成が難しい。過去、腐敗・贈収賄による損失の推計が困難であったが、腐敗の認識に対するアンケート調査を用いて腐敗に関するデータを作成することに成功した。このような指標の代表的なものとして、世界銀行研究所のカウフマンらが中心となって作成している世界ガバナンス指標(WGI)や世界的な腐敗防止のNGOであるトランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識度数(CPI)、グローバル腐敗バロメター(GCB)がある。ここでは腐敗の代表的な指標として、CPIを紹介する。CPIとは?1995年7月10日にドイツの新聞Der Spiegelに発表されて以来、28年の間、世界各国の公共部門における腐敗の認識を測る複合指標である。2012年までは時系列での比較ができなかったCPIは、CPI作成の方法論の変化により2013年から時系列データでのCPIのスコアの比較が可能になった。CPIとは、人々が公的部門の腐敗に関して認識している度合いについて、0(腐敗がもっとも高い水準にあると人々に認識されている)から100(腐敗が最も低い水準にあると人々に認識されている)。下の図にあるように、赤色が濃くなればなるほど、腐敗が最も高い水準にあるということである。調査対象は世界の国々・地域180か国で、平均スコアは43であった。2022年のCPIによると、腐敗が少ないと考えられる国としてランク1位に挙げられたのは、デンマークである。逆に腐敗が蔓延していると考えられている国としては、180位のソマリアがある。地域別でみると、北欧を中心とした先進諸国においては腐敗は少なく、ロシアやアフリカなどの国々では腐敗がはびこっていると人々は認識していることが、CPIから明らかである。図1:CPIの色マップ(出典:トランスペアレンシー・インターナショナル)図2:2022年CPI 世界地図(出典:トランスペアレンシー・インターナショナル)制度設計の重要性腐敗防止のためには、制度設計をいかに行い、人々の気持ちを変化させるのかが重要である。ここで制度とは、制度は、政治、法律、経済、教育等における公式に制定された制度だけでなく、公式の法律や規則なしに慣習的に成立しているインフォーマルなメカニズムも含む。他人と同じ行動をとると、得られる利益が大きくなる戦略的補完性という概念が、制度の継続に関係している。戦略的補完性がある制度のもとでは、以下のような特性がある。①過去の経緯によって、制度の経路依存性が存在する。②いったん制度が決まると、粘着的にその制度が持続すること、③そして定まった制度が必ずしも最適ではないということである。このような制度の状況を踏まえて、腐敗事象がなぜ継続するのかを考えていく。ある腐敗の状況が成立しているのは「社会における人間の相互作用を規定する枠組みから生じる均衡状態」であるため、ある種の社会的均衡として腐敗をとらえることが重要となる。以下の例を考えてみよう。ある社会で賄賂を支払う人が増えた場合、贈収賄による利益と正直でいることによる利益との比較で、どう変化するのかを考える(図3)。図3:贈賄するか、正直でいるのか図3における贈賄線は、賄賂を贈ることで個人が得られる利益、正直線は腐敗を行わないことから得られる利益を表している。Aの状況は皆が正直な状況、すなわち腐敗をするリスクが高くなることを意味し、Bの状況は少なからず腐敗をしている人たちがおり、Aの状況と比べると腐敗のリスクが低い状況を表している。制度変更や慣習の変化により、Bより左に向かえば、腐敗をする価値を認める人は減り、最終的にA点に向かうことになり、低腐敗均衡になる可能性がある。逆にBより右になれば、人々は腐敗から利益を得られるため、腐敗行為を行う人たちが増えて、高腐敗均衡になる悪循環のケースである。低腐敗均衡Aに向かうような制度設計こそが腐敗撲滅に必要とされる。腐敗防止のためにでは具体的に、腐敗を防止・撲滅するためには、どのような戦略があるだろうか。フィスマンとゴールデンによれば、以下の5つが重要であるとされる。①リーダーシップ、② SNS等による情報発信、③独立した腐敗防止機関の設立、④国際的な圧力、⑤ICTなどによる腐敗防止教育によって、腐敗がはびこる悪い均衡に陥ってしまった社会を変革できる可能性がある。また腐敗に対して冷笑的ではなく、人々が腐敗に対して妥協しないことが大切である。ただ腐敗に対して沈黙するのではなく、声を上げて腐敗に妥協しない、プロセスの透明性を高める努力を市民サイドも積極的に行う必要がある。いかに腐敗が社会に対して害悪であるのか、日本のケースを踏まえても立ち止まって考える必要があるだろう。参考文献小山田英治(2019)『開発と汚職』(明石書店)溝口哲郎(2010)『国家統治の質に関する経済分析』(三菱経済研究所)溝口哲郎・齋藤雅元(2017)「腐敗・汚職の経済分析に関するサーベイ:Shleifer and Vishny (1993)の再考」麗澤大学紀要, 第100号, 83頁-89頁。溝口哲郎(2017)「腐敗の実証研究の最近の動向について」高崎経済大学論集、第60巻, 第2・3合併号, 89頁~104頁レベッカ・ソルニット(2020)『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)レイモンド・フィスマン&エドワード・ミゲル(2014)『悪い奴ほど合理的』(NTT出版)レイ・フィスマン&ミリアム・A・ゴールデン(2019)『コラプション:なぜ汚職は起こるのか』(慶應義塾大学出版)クリスティーヌ・ラガルト(2017)「政治的腐敗がもたらす混乱」IMFBlog: https://www.imf.org/external/japanese/np/blog/2017/120817j.pdf溝口哲郎(みぞぐち・てつろう)1997年慶應義塾大学経済学部卒業。1999年慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了。2008年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、Ph.D.in Economics取得(オタワ大学)。現在、高崎経済大学経済学部国際学科教授。専門は応用ミクロ経済学、公共経済学、財政学。研究分野は汚職・腐敗の経済分析、日本財政の持続可能性。主要な研究業績に、N. Yoshino, T. Mizoguchi, and F. Taghizadeh-Hesary (2019): "Optimal Fiscal Policy Rule for Achieving Fiscal Sustainability: The Japanese Case, " Global Business and Economics Review, Vol.21, No.8, pp.156-173、Tetsuro Mizoguchi and N. V. Quyen (2014): "Corruption in Public Procurement Market, "Pacific Economic Review,Vol.19, No.5, pp.577-591、『国家統治の質に関する経済分析』(三菱経済研究所, 2010年)など。本研究は、JSPS科研費JP21K01542の助成を受けたものです

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2023年秋公開予定

松波めぐみ

#upcoming 2023年9月公開予定2023年9月公開予定

2023年冬公開予定

小澤いぶき

#upcoming 2023年9月公開予定2023年9月公開予定

2023年冬公開予定

清水晶子

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